PCOと恋愛 手当たり次第の時期
ドーナツの彼と別れて、
「いろんな人と出会いたい!」と合コンやらなんやら。
24歳の女がフラフラ飲み歩いてたら、それはそれはいろんな人に声かけてもらえるんだよ
この辺の記憶はもう消したい。
この時期好きになった人がいます。
この地域の小さい企業の社長の息子で、すごく楽しそうに話す人。自分の考えとか、楽しいと思っていることを人に伝えるのがすごく上手な人だった。
「最近Amazonで買い物してるんだけど、佐川のお兄ちゃん、一回家の前に置いておいていいよって言うと、毎回置いていくようになったみたいでさ。うちほら、マンションの角部屋とかじゃないじゃん?だから廊下にガツンと置いていくんだよねー。次は電気スタンド頼んだんだけど、どんなふうに到着するか楽しみ。佐川の兄ちゃんとの攻防。」
とか。
好きだった。
SEXもすごく、激しくて、熱い感じ。首とか締める系
好きだから付き合ってという私のことなんて
「俺と付き合ったらめんどくさいし大変だよー笑」と簡単にかわしていた。
自然とこちらからは連絡しない。連絡を待つ感じだった。
どんどん連絡が取れなくなってきて、最終的にはfacebookで、彼の結婚式の写真がアップされてた。
え?彼女いないって言ってたのに。
でも、おめでとうって言いたい。
そう思って私は思い切って電話したら、新婚旅行中でした
それでも出てくれた笑
「おぉー〇〇?(私の名前じゃない)昨日ありがとねー。」
え?と思ったら、電話を切られました。
あぁもう連絡しない。と思ったのに、また連絡がきて、今度は「今から行くよー」って。
それで本当に家に来たので、がんばって抵抗して帰ってもらいました。
その時はもう私、夫と付き合っていたしね。
そんな人のことも好きになったことがあったなぁ。
PCOと恋愛ー初めての彼氏ー
3歳年上の部活の先輩との関係を終了したのが、私が大学3年生21歳の時。若いなぁ。
4年制大学を卒業して、無事看護師になるためには、卒業論文と国家試験の合格が必要だし、4年生の前期まで実習をしていたりするので、最終学年の4年生は結構忙しいんですよ。
私は卒業論文のテーマを『一般人が希望する新卒看護師の技術レベルはいかなるものか』というような内容にしました。
というのも、学校によって色々なんでしょうけれど、私の学校では、演習でも実習でも、実際に人の腕に針を刺したことがないまま卒業する人が大多数だったからです。一般の人って、新卒看護師だとしても、採血くらいは実際にしたことがあるだろうと思っているんじゃないかな?と、このテーマにしました。
研究方法は、医学と関係ない分野の人たちにアンケートをとるという手法でした。アンケート用紙を実家に送ったり、色々したのですが、その時にドーナツ屋さんでアルバイトをしていた時の仲間にも協力を得ました。
ドーナツ屋さんのバイトって、女性がするイメージがあると思いますが、立地が繁華街の入り口で、土日は夜の3時まで営業しているちょっと特殊なドーナツ屋だったので、治安が悪いからか、近くにある総合大学の男子大学生のバイトが多かったんです。
私はその時すでにドーナツ屋さんのアルバイトはPCOの悪化を理由に辞めていたので、お願いするのは気が引けたんですが、私には医療関係者じゃない友人が本当に少なかったので、彼らにもお願いすることを決意しました。
一緒にアルバイトをしていた4人の中で、一度一緒に美術館に行ったことのある人に声をかけたのです。
彼は快諾してくれました。私は逃げるようにアルバイトを辞めたのもあって、断られても仕方ないなと思っていたので、本当にうれしかった。
その後、研究が終わっても連絡を取るようになり、失恋やら実習、研究、国家試験の勉強でへなへなになっていた私は彼の優しさが身にしみて、とうとう4年生のクリスマスに彼とデートし、付き合うことになりました。
あ、ちなみに、研究の結果としては、実際の新人の技術レベルより高いものを一般の人は求めてるよというものでした。予想通り笑
彼とは3年間くらい付き合ったかな。彼のいいところは、すごくセンスがいいところ。持ってるもの、聴いてる音楽、そういうのは全部素敵でした。あと、正義感が強いところ。道路交通法とかを守らない奴に対してすごいキレる。本人は免許持ってなかったけどね笑。あと、部屋もすごい汚い。すごい汚いけど、たまーーーーに本気で掃除をすると本当びっくりするくらいきれいになるので、検索すればネットで汚部屋のビフォーアフターの彼の部屋の画像が出てくるほど汚かったです。たしか、画像は本人がmixiとかにあげたのを誰かに一般公開されたらしいです。たしか。
付き合った当初、私は大学4年生、彼は大学院の1年生でした。私の就職先が彼の家に近かったので、私が仕事を始めてからは、ほとんど彼の家にいました。
同棲みたいな生活が、私にはとっても楽しかった。すごくしんどい看護師1年目でも、彼といるから、仕事のつらいことは仕事以外の場で考えなくてよかった。本当に彼は私の救いでした。汚い彼の部屋を掃除したり、洗濯をしたり。料理は彼が好きだったので、彼が作っていました。
体の相性は、どうだったんだろう。我慢汁の量がハンパじゃない人だった。私もすぐビチャビチャになる体質なので、SEXする前はもうお互いパンツぐっしょり。当時はそれが当たり前だったからなんとも思わなかったけど、今考えればエロい。とりあえずドキドキはしないけれど、相性が悪いわけではなかったと思います。まぁとりあえずお互い20歳そこそこの男女なのでね、相性とかそういうことは全て性欲の強さで打ち消されていたようにも思います。
当時彼には近くにあまり友達がいませんでした。彼は大学院に進学して、学部の頃の友達の多くは就職で離れた都会に行ってしまった頃なので、彼女がいても、多くの友達と離れてしまった寂しさがあったんだろうなと思います。
「学部の頃の自分には、彼女もいなかったけれど、あれはリア充だったと思う。」
その言葉を聞いて、私は、「この人は私との今の生活よりも、友達といた方が楽しかったのかなぁ」と思いました。私はわりといつもこんなふうにネガティブに考えがちで、その時はそれに加えて、思ったことを言葉にしないという私のいちばん悪い癖も重なって、なんだかスッキリしない思い出です。
もし、「今は楽しくないの?」と聞いたら、「今もすごく楽しいけどね」と言ってくれたかもしれないし、そうじゃなくても色々話ができたのかなと今は思います。でも、きっと、私も「学生の頃のあの先輩に対する気持ちの方が大きかった」と思っていたから聞けなかったのかもしれない。
彼とは、将来結婚するつもりでいました。彼の実家にも、彼と私とあともう1人ドーナツ屋さんのアルバイトで彼の学部から大学院までも同じという友達と3人で遊びに行ったことがあります。彼の実家に泊まったあと、動物のいるテーマパークに行って、海に行って、そのあと温泉に入って。すごく楽しかった思い出です。
彼は大学院を卒業して、私の住むまちからいちばん近い都会にあるIT系の会社に就職しました。私は2連休があると、彼の家に遊びに行きました。在来線で片道2時間くらいの距離。私の仕事の都合上、2連休がいつも土日とは限らないので、昼間は彼の家でひとりで過ごしたり、近くのマックや美術館に行ったりすることも多かったです。彼の家に行っても少しさみしい時間がありました。
彼は就職してから1度も私に会いに来てくれませんでした。ドーナツ屋バイト時代の友達のためには有休を使ってまで遊ぼうとするのに。
彼のことを頭がいい人と私は思っているので、きちんと理解してくれるだろうと思い、PCOのことは打ち明けていました。同時に、PCOは高齢になればなるほど、妊娠しにくくなるとも言われているので、自分は子どもが欲しいからできれば早く結婚したい、いつ結婚するか、ということも。
「そのうち。」これが彼の答えでした。
この人は私のことが大事ではないんだろうな。
そんなことを思いはじめました。
それでも別れるようとまでは思っていなかったけれど、「もう別れたい!」と思ったのは、私が大学時代の部活の友達と遊んだ時です。
卒業前から、彼とばかり一緒にいたので、社会人になってから全然友達と遊んでいなかったのですが、久しぶり友達と遊んだら本当に楽しかった。当時友達はみんな彼氏がいなくて、「この前の合コンはこんなだった」とか「今度〇〇に飲みに行く」とかそんな会話がされてて、あぁ私も知らない人とお酒を飲んで楽しく話したいし、ドキドキしたい!しかも多分、これは若い今しかできないことだ!
ということで、とりあえず浮気をしてみました笑 当時23歳の私。ナンパして来た20歳の子とSEXしてみた。体相性がいいってああいうことを言うんだなぁって思いました。あの浮気が全然楽しく感じなかったら、きっと彼と結婚していたんだろうなぁ。
もし、彼氏と別れずにこのままいたら、人生後悔すると思って浮気をきっかけに別れました。 事あるごとに「もうお別れだね。」と言い続けた。
ある時「本気なの?」と言われて、
「本気。」
「なんで別れたいの?」
「遊びたいし、あなたは友達には会いに行くのに有休をとるのに私のところには来てくれさえしなかった。」
「それは付き合いの長さが違うからでしょう。」
そんな言い訳じゃなくて、
「そうだねごめんね」ってただ謝ってほしかった。あれで一気に気持ちが冷めてしまいました。
彼は「とりあえず一旦別れるってことでいいんだよね」と言って、別れることを納得。多分、復縁することを希望してるんだろうなとも思いました。私は一回別れたのにまた付き合うという感覚が当時は全然理解できなかったけれど、とりあえず別れてくれればなんでもいいと思って別れました。
その後、私は浮気した20歳に付き合わないかと提案したんですが、振られました笑 そして、なんと、ドーナツの元彼にはすぐに彼女ができた!
いやー悔しかった。あいつに私より早くパートナーが現れたことが悔しかった。元彼がとられて悔しいとは全然思わなかったので別れてよかったんだなとも思いました。
結局付き合った期間は短かったようで、別れたら彼はまた私にモーションをかけてきました。
彼のまだ私に気があるよう態度がすごい嫌でした。都合がいいとかそういうことを怒ってるのではなくて、全然彼には気持ちがもうなかったし、その人は私と付き合う前の彼女のことを「まだ俺と付き合えると思っている」とバカにしていたのに、おんなじことしているのが気持ち悪かった。
全力で私はもう気持ちがないことを伝えました。私の態度に彼は逆上。「結婚する気でいたのに」「最後に会った時のあのつまらなそうな態度はなんだ」などなど。もうなんでもよかったのでとりあえず謝り続けました。
彼はPCに精通しているので、別れた後もたまにそういうこと質問するために連絡をとったり、共通の友達もいたので、情報は耳に入ることはありましたが、自然と連絡はとらなくなりました。
ドーナツ屋の友達から聞いた話では、どうやら彼も結婚したらしく、現在不妊治療をしているようです。なんという運命でしょう笑
「私の不妊に対する不安な気持ちを大事にしなかった罰かな」とか、ちょっと意地悪なことも思ったけど、早く子どもができるといいねと今は遠くから思っています。
PCOと恋愛ー大学の先輩ー
処女なのにピルを飲みだして数ヶ月。
恋をしました。
相手は大学の同じ部活の3つ上の先輩でした。その先輩はすでに部内で3人と付き合ったことがあって、3人目の彼女に振られて間もなかったようです。
当初、私は彼に別に好きとか嫌いとかいう感情は全然ありませんでした。「なんかヘラヘラしてて、ニヤニヤしたやつ」くらいのもん。そんな彼が振られて悲しんでいる姿は、「ちょっとかわいそうだな」と思えました。
ある日部活終わりでご飯を食べている時、私が耳に髪をかけたら、その先輩がすごい顔で私のことを見ていました。あれ以降、部活以外でも連絡を取ったり、話したりする機会が増えたから、多分あの瞬間に彼は私のことを好きになったんだと思います。「女の人が髪を耳にかける姿が好き」とも言っていたと思います。傷ついている男の人は簡単に恋をするのかなぁと思ったりしました。
そんな私も、気にかけている人が自分に好意を持ってくれるのは初めてのことでした。すごくうれしかったし、彼のことはすぐ好きになりました。彼はいつもヘラヘラしてて下ネタばっかり言ってるけど、部活でも学業でも成績は優秀。才能というよりは努力の人で、ちょっとよく見てみれば、魅力に溢れている存在でした。
ただ1つ問題があって、学生にはよくあることなんですが、私の仲のいい同級生がずーっと彼のことを好きだったんです。告白も何度もしていたみたい。
全然気にも止めてなかった人を好きになって、この気持ちが長く続くかわからなかったし、何よりその友達との関係を壊すことが怖かった。「あの子のことがなかったら、俺はみほと付き合っていたと思う。」そう言われて、全部大事にしたくて、臆病な私は、彼と水面下で会うようになりました。
最初のうちは、お互い恋をしていたし、みんなに内緒にしているのもすごく刺激的だった。罪悪感も後押しして、燃えに燃えていた。私の処女?も彼に捧げました。「初めてが彼氏と呼べない相手でもいいのか」そう聞かれて、処女の概念なんてハゲた教授に金属製の器具を股に入れられた時点でなんだかよくわからなくなっている私は「うん、いい。」と即答。
筋肉と脂肪のバランスが最高でシルエットでさえ楽しめるきれいな身体。
気持ちいい角度でピストンを持続できる体力。
彼にはSEXの楽しさも気持ち良さもたくさん教えてもらいました。
彼との関係が1ヶ月程度続いた時だったと思います。彼は医学生だったので、PCOのことについてきっと理解があるだろうと思い、PCOのこと、それに伴いピルを飲んでいることを打ち明けました。彼は彼は「え?みほが?」とびっくりしていましたが、それ以降コンドームはつけなくなりました。「俺、STD(性感染症)ないし。」と。
子どもを作る能力が低い女は、女としての価値が低くて、大切にされないものなのかもしれない。そんな卑屈なことを思っていました。
きっと理由はそこじゃないんだと今は思います。
感情の面でも、彼はどんどん私への熱が冷めているのもわかりました。私がどんどん彼にのめり込んでいるにもかかわず。同級生のあの子は、もう別に彼氏ができているけれど、私たちは周囲に関係を公言することはなく、ただSEXしているだけ。しかもどんどんSEXが適当になっていく。私は彼の都合のいい女に成り下がりました。
でも好きだった。彼は顔は柔和な柳沢慎吾みたいな人で、全くイケメンではないんだけど、「自分ではジャニーズよりかっこいいと思う。人に言うと否定されるから言わないけど。」という彼を私はジャニーズよりはかっこよくはないと思うけど、そういう他人に言わない本心を私に話していることが嬉しかった。否定もせずに笑顔で笑顔で「そうなんだね」と答えたと思います。恋って恐ろしいですね。
彼には多分必要とされていて、同時に全く大事にされていないのも知っていました。私は自分の存在意義を『彼の精神衛生を保つ聞き分けのいいかわいい女』に見出していました。そして、いつか私の聞き分けのいい女でいる努力を認めてもらいたかった。
でも、無理でした。彼は、私の周囲で「俺は今は彼女を作る気はない。卒業したら看護師と付き合って結婚するんだ」と言っていたり、私の父の職業を暗にバカにすることを言ったりしていました。
「でも好きだから」で片付けられなくなるほど、とても辛くなってきて、限界がきました。私はいつも彼のことばかり考えているのに、彼との未来は何も見えない。
そう思った私は、とあるクリスマスに自分から「もうこの関係やめたい。あなたのことばかり考えて、他に何も手がつかないの。」と、彼に伝えました。彼は私のことをかわいそうに思うような表情をして、「ごめんね」と言って数年続いたその関係はあっさり終わりました。
ただ、彼は卒業する際に、なぜか私との関係を周囲にバラして卒業していきました。多分、彼のいいなりになっていた私のことが彼の自尊心をくすぐり、自慢したかったのでしょう。
まだあと1年部活で過ごす期間がある私は、彼の置き土産にぶちギレ。キレる資格もないかもしれないですが、あんなに人の目を気にしていたのに元も子もないことをされて、正気ではいられなかった。顔を見た瞬間にビンタでした。それ以降彼とは会ってません。
そんなバカ女みほと大学の先輩とのお話はこれでおしまい。次回は初の彼氏とのお話です。
みほについて PCO診断まで
こんにちは。みほです。
現在30歳で一児の母。育休中です。
私は19歳の頃からPCO(多嚢胞生卵巣)による排卵障害を患っていて、これがなかったら、それかもう少しこの病気とうまく関われていたら、ちょっと人生が違っただろうなぁなんて思っているので、今までのことを文章にしてみたいなぁとブログを始めます。
私はとある地方都市のベッドタウンで生まれ育ちました。高校生の頃に看護師を目指して、大都会をまたいで地元から離れた地方都市の大学に進級しました。
大学に入って、授業の他に平日はほぼ毎日の部活と月6回の病院のアルバイト、土日は部活の大会とドーナツ屋さんで夕方から夜中までアルバイトをしていました。お金がなかったのです。いや、正しくは自分のしたい生活をするには親からの仕送りだけではお金が足りませんでした。あとバイトってやめたい時にかなり引き止められるんですね。辞めたくてもなかなか辞められなかった記憶もあります。
大学生活はとても楽しかったのですが、この生活がPCOを悪化させたと思います。
元々、月経過多気味ではありました。初潮は小学5年生の時です。その頃の保健の授業などでも、体が未熟なうちは生理も安定しないと学びましたが、本当に生理は不安定でした。月に2〜3週間は股から血が出ていて、心配に思ったらしい母と一緒に婦人科に行ったこともあります。婦人科では「大きくなったら落ち着くと思うよ」と言われて内診などはせずにおしまい。通ってたプールも、生理で行けない日ばかりだったので辞めちゃいました。
その後も過多月経気味で過ごしていたのですが、高校生になり、まぁ思春期のアレです。恋煩いをして、すごい痩せたんですね。多分10キロは減ったかなぁ?その時は生理もかなり落ち着いていたと思います。体質もあの時期だけは違った。『PCO改善に減量はかなり有効』というのは実際にそうなんだろうなと思います。
恋煩いで減量しても、その後失恋して、受験勉強をしていたら、着々と体重は戻っていきました。無事大学は合格。
大学生になって、前述したような生活を送っていたら、もう本当に生理が止まらなくなって、しかも元々強めだった生理痛も尋常じゃなくなってきたんですね。歩けないくらい痛い。でも、元々そうだったから、で済ませてしまって、異常であることに気付けないんです。
そんな私が異常であることに気付いたのは、母性看護学の授業のおかげでした。簡単に言うと女性の体とお産についての授業です。
改めて正常な女性の体はこうなんだよ、と授業で聞いていると、自分は異常なのかも…と思うようになりました。その授業をしてくれているのが私の担当教員であったこともあり、相談したら、すぐに受診することになりました。
なんだか知らないけど、婦人科でその大学一えらい先生(教授)が登場。処女の私にクスコをぶち込み、私についた診断が
子宮後屈
多嚢胞性卵巣
でした。腹水もたまっていたらしい。
その教授は、なんかあるととりあえずピルを処方して解決するタイプの診療スタイルだったらしく、無事私にもピルが処方されました。
看護師を目指していなかったら、きっと受診はもっともっと後になっていただろうと思います。
当時私はまだ19歳。よくわからないままピルの内服を開始したのです。処女なのに。