みほについて PCO診断まで
こんにちは。みほです。
現在30歳で一児の母。育休中です。
私は19歳の頃からPCO(多嚢胞生卵巣)による排卵障害を患っていて、これがなかったら、それかもう少しこの病気とうまく関われていたら、ちょっと人生が違っただろうなぁなんて思っているので、今までのことを文章にしてみたいなぁとブログを始めます。
私はとある地方都市のベッドタウンで生まれ育ちました。高校生の頃に看護師を目指して、大都会をまたいで地元から離れた地方都市の大学に進級しました。
大学に入って、授業の他に平日はほぼ毎日の部活と月6回の病院のアルバイト、土日は部活の大会とドーナツ屋さんで夕方から夜中までアルバイトをしていました。お金がなかったのです。いや、正しくは自分のしたい生活をするには親からの仕送りだけではお金が足りませんでした。あとバイトってやめたい時にかなり引き止められるんですね。辞めたくてもなかなか辞められなかった記憶もあります。
大学生活はとても楽しかったのですが、この生活がPCOを悪化させたと思います。
元々、月経過多気味ではありました。初潮は小学5年生の時です。その頃の保健の授業などでも、体が未熟なうちは生理も安定しないと学びましたが、本当に生理は不安定でした。月に2〜3週間は股から血が出ていて、心配に思ったらしい母と一緒に婦人科に行ったこともあります。婦人科では「大きくなったら落ち着くと思うよ」と言われて内診などはせずにおしまい。通ってたプールも、生理で行けない日ばかりだったので辞めちゃいました。
その後も過多月経気味で過ごしていたのですが、高校生になり、まぁ思春期のアレです。恋煩いをして、すごい痩せたんですね。多分10キロは減ったかなぁ?その時は生理もかなり落ち着いていたと思います。体質もあの時期だけは違った。『PCO改善に減量はかなり有効』というのは実際にそうなんだろうなと思います。
恋煩いで減量しても、その後失恋して、受験勉強をしていたら、着々と体重は戻っていきました。無事大学は合格。
大学生になって、前述したような生活を送っていたら、もう本当に生理が止まらなくなって、しかも元々強めだった生理痛も尋常じゃなくなってきたんですね。歩けないくらい痛い。でも、元々そうだったから、で済ませてしまって、異常であることに気付けないんです。
そんな私が異常であることに気付いたのは、母性看護学の授業のおかげでした。簡単に言うと女性の体とお産についての授業です。
改めて正常な女性の体はこうなんだよ、と授業で聞いていると、自分は異常なのかも…と思うようになりました。その授業をしてくれているのが私の担当教員であったこともあり、相談したら、すぐに受診することになりました。
なんだか知らないけど、婦人科でその大学一えらい先生(教授)が登場。処女の私にクスコをぶち込み、私についた診断が
子宮後屈
多嚢胞性卵巣
でした。腹水もたまっていたらしい。
その教授は、なんかあるととりあえずピルを処方して解決するタイプの診療スタイルだったらしく、無事私にもピルが処方されました。
看護師を目指していなかったら、きっと受診はもっともっと後になっていただろうと思います。
当時私はまだ19歳。よくわからないままピルの内服を開始したのです。処女なのに。